葛西選手
2014年01月25日
今日の鹿角は。昨日の投稿で黒猫君が、1月25日は「1902(明治35)年のこの日、北海道旭川市でマイナス41度という日本の気象観測史上最低の気温が記録された」事から「日本最低気温の日」とされた旨お伝えしておりましたが、昨年8月高知県で+41度を記録。その差82度・・・、時代が違うとは言え、恐るべし日本列島・・・ですね。
さてガラッと話は変わりまして・・・、ソチオリンピックが近付いてきましたネ。
選手団の主将で7回目のオリンピック日本代表となる葛西紀明選手(土屋ホーム)に関してチョットだけ・・・。(過去にアルパスで合宿を行ってくれた事もあり、サインをアルパス内に掲示しておりま~す。)
「カミカゼ・カサイ」として海外でも人気があり、今や「レジェンド」と呼ばれておりますが、昔々こんな事が・・・。(葛西選手のエピソードとして知る人ぞ知るお話ですが、その現場に居た者として書き込みま~す)
葛西選手が中学校3年生の時、国内の多くの選手が参加する大会のテストジャンパー(選手の前に飛び、ジャンプ台の状況を確かめる目安となる役員)をしてたんです。
そしたらいきなり「K点超え・・・」(当時はその地点を超えたら危険とされ、スタートゲートが下げられました)
何だカンダでスタート位置が決められ(下げられ)競技開始。終わってみれば「役員の葛西選手」が一番遠くまで飛んでいた・・・。(選手と同じ位置からのスタートして)
次の日の新聞には「影の優勝者」的な見出しで紹介されていた事が記憶にあります。(まっ、それ以前に「凄い中学生が居る」と噂は流れていましたが・・・。競技に関係なく、一流選手には伝説的なお話って良くありますよね!!)
その後の活躍は書ききれない程の素晴らしさ・・・。
41歳・・・。今なお一線級で活躍出来るなんて才能と努力の賜物ですね。
また、花輪スキー場のジャンプ台が完成(平成7年)した時、当時の所属会社がジャンプ台建設に携わった関係で、サマージヤンプ台として完成していたミディアムヒルを最初に飛んだ事を記憶しております。
葛西選手・・・またのお越しをスタッフ一同お待ちしておりま~す。
本日の投稿は、昨日黒猫君に「明日は何の日」を書き込まれ、今日の書き出し予定がカブッている事が判明。チョット困り・・・ムッとした投稿長男でした。
(業務連絡ぅ~。黒猫君、コマーシャルが絡まないのであれば、「明日は何の日」的な表現はご遠慮下さいませ)
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